何もしないという選択 (2017,07,24)

いつも、何かをしなければならないと思うことがある。

何もしていないと、とてつもない罪悪感にかられ、押しつぶされそうになる。

だから、スケジュールを埋めて、自分の隙間を埋めようとしていた。

 

病気を治さなければならないとか、もっと勉強しなければならないとか、資格を取らなければらないとか、既存のものではなく何か新しいものを産み出さなければいけないと。

 

そうしなければ、誰にも認めてもらえないのだと。

 

しかし、そのような承認欲求は尽きることはなく、ただひたすらに消耗していくだけだった。

 

それでも、私は、ただひたすらに、何かをするという選択肢を手放すことができなかったのだ。

 

そして、答えはいつも誰かが持っていて、外の世界に行けば自分の欲しい答えが見つかると思っていた。

 

病気を治す答えが欲しい、元気になるためには~しなければならない。

 

でも、求めれば求めるほどに膨大な量の選択肢がひろがり続け、経済的にも精神的にも底を尽きるほどにすり減ってしまっていた気がする。

 

お金を使えば良くなるとか、○○だから、△△といった、義務教育の中で無意識に刷り込まれた反応が脳を支配していた。

 

そんな生活に疲れ切っていたある時、私の胸に染みた言葉がある。

 

「何にもしなくていいよ。」

「もっと氣が楽になるように生きて。氣楽に喜楽に、楽しいことをやってあげて」

「お金を使わなくったって、自分の心ひとつで幸せになれるんだから。」

 

今のままの自分では足りない、なんて私はダメな人間何だ。自己否定感がぬぐえなくて苦しんでいた。

「変わらなくていいんだよ。ありのままで。」

 

誰かに、地球上の誰かに一人でも、そんなことを言ってもらえるとは思ってもいなかった。これまで、止まることは許されないことで、一日休むことは三日後退することだと言われて生きてきたから、少しでも前へ前へと前進していない自分は自分の中では認めることができなかったのだ。

 

「あなたの病気は自分が作り出しているんだよ。そのことがわかるかい?もし変わる必要があるとすれば、もっと氣楽な気持ちで生きられる自分になって。自分を縛っているのは自分なんだよ。元氣な時もあれば、何もできないときもある。人間だもの。」

 

同じ人生なのだから、やりたいことを、思いっきり、怖がらずにやってみればいい。

自分自身が「怖い怖い怖い……」と思っていることについて、「何が怖いの?」と問いかけてみると、「……。」一体何が怖いんだろう。

 

胸の内に広がっているのは、漠然とした不安という目に見えない世界だった。将来の不安、お金の不安、人間関係に関する不安。

 

全て、自分が、自分の価値観の中で決めた善悪の価値観の中で、善という領域にそぐえなかった自分に対するネガティブな感情が端を発しているだけだったということに気づく。

 

そう、だから、すべては自分の心(ハート♥)が決めるもの。っ幸せも不幸も、自分が全部る食っていると気づけば、今この瞬間に幸せになれる。自分の、その人の気持ちが幸不幸を決める。

 

だから今私は選択します。”私は幸せです”

自分の貴重な時間。命が輝くことを。

 

だから、時には、何もしないで、ボーッと、自然の中で自分のありのままを感じてみませんか。

 

読んでいただいたご縁に感謝です。

 

 

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