たなごころ:掌

手  掌

掌を、もう片方の掌で優しく触った。

左の掌の真ん中にある自立神経のツボを、右の掌の親指でそっと触れる。

ジワジワと自分の熱が掌一杯に広がって行く。自分の心臓のリズムが掌で転がって行く。

私って、人って、こんなに温かいんだ。

誰かの掌にも、この熱を伝えたくなった。

それくらい、人一人のエネルギーって素晴らしいもので、掌同士で無言の会話をする事ができる。

誰かにすがりたくなったり、一人じゃさみしい時がある。そんな時は無闇に誰かに愛をすがるのではなく、私の愛を、私自身に循環させよう。

ほら、気付くはず。私って、あったかいんだぁ。愛おしいなぁ~って。

その愛や感謝の「ありがとうございます。」で、私が私の身体を充満させたら、さみしくない状態、依存じゃない状態で、きっと大切な、愛する人とバランスよく寄り添える。

それくらい、この二つの掌には魂がやどっていて、その掌と掌を合わせるということは、”吾和す”、私自身が和合し、私は私を信じていますよということを意味しているのだ。

そんな、掌をなでなでしながら、自分と対話をはじめていこう。


熟成

私たちの頭の中には、熟成期間が存在する。

継続して凝縮して脳に何かを詰め込む。一つ一つの知識がバラバラに偏在する無秩序な状態。

その行為をパッと離れて、一定期間放置する。

ある時またふとそれを再開すると、以前より格段に上手になっていたり、
理解のスピードが早まっていることがある。

やり続けることと同じくらい、パッと潔く退く、手を放す事が、脳にある意味で刺激を与えている事もあるんだろう。

 

この文章を書いたのは、7-8年ほど前の私である。

ある指揮者の方と交流があり、メールで心境をやり取りしていることがあった。

自分のありのままが受け入れられなくて、自分の内面に自信が持てなくて、今よりももっと不安で焦って迷っていた。

そんな時、その方にメールした文面が上の文章だった。そのときはただ文章を感情のままに送って終わって忘れてしまっていた。

数日後、また落ち込んでしまってその方にメールすると、私の送った文章を丸ごと返信してくれたのだ。

まさか、自分自身が、以前の自分の言葉に支えられるとはその時まで思いもよらなかった。

でも、自分が自分の言葉で綴った素直なメッセージだったから、誰かかの言葉よりも凄く胸に染みて、未だに落ち込むと読み返す。

その方は、本当に突然に亡くなられてしまった。それだけに余計に思い入れもあり、その方からの遺書でもあるような気がして、このメッセージをいまも大事に大事にしていきたい。

そう、それくら、人は一人ひとり、自分自身の中に輝かしいメッセージを持っていて、誰かに、何かに頼らなくても、自分の心を潤し癒すことができるのだ。

だから、どんな自分もありのままで、そのままで、生きているだけで尊いのだ。

愛をこめて。

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